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「災害ユートピア」第一章 ミレニアムの友情

防災 読書

おはようございます。
今朝は前回に引き続いて「災害ユートピア」を読んでいます。

災害とは自然現象と社会の脆弱さが出会ったときはじめて成立する現象と考えます。
そして、生きるか、死ぬか、よい思い出になるか、最悪の事態が引き起こされるか、それは人間のあり方でまったく違う結果になっていきます。

第一章では1906年のサンフランシスコ大地震を取り上げています。100年も前の話ですが、まるで昨日の話のように感じました。発生は4月18日の朝5時12分。寒い朝でした。サンフランシスコ沿岸160Kmが壊滅的被害を受けました。

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特筆すべきは、地震に続く火災がほぼ人災であったことです。「凶暴化した群衆から町を守るため」軍隊が町を爆破。8万㎡(東京ドーム2つ分)が焼失しました。

その一方で、普通の人の勇気ある行動で多くの人が助けられ、その後の復興につながっていきます。避難の際にも、人々は冷静で、泣いたり騒いだりする人はいなかった。走れる人は弱い人を助けて、あるいはアメリカンジョークを飛ばしながら陽気に避難を進めたのだそうです。


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Western Mining History - 1906 San Francisco Earthquake Gallery


どうでしょう。映画やドラマの災害とずいぶん違うと思いませんか。
むしろ、日本の災害でみられる冷静さや助け合いと、ずいぶん通じる所があるように思えます。


当時の避難先は公園。どんなに寒くても野宿です。地震から3日目。美容師のアンナさんは、カーテンやじゅうたんをかきあつめて、縫い合わせてテントをつくり、空き缶ひとつで炊き出しをはじめました。

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The Great 1906 Earthquake & Fires of San Francisco
シティホールでくつろぐ2人のサバイバー


やがて、アンナさんの立ち直りの早さと行動に勇気づけられた人々が集まり、手伝う人がだんだんに増え、最大で一日300人ものスープを提供するようになりました。カラフルなテントがあちこちにできて、アメリカらしい面白看板が競われ、月夜の晩にはギターやマンドリンの音色が流れ、それはそれは陽気な避難生活だったといいます。

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1906 Earthquake: Refugee Camps - Presidio of San Francisco (U.S. National Park Service)
さまざまなテント

映画やドラマと同じ場面はちがう視点から発生していました。

同時刻、サンフランシスコ北部に駐屯していた軍隊は、通りに逃げ出してきた人達を「制圧すべき暴徒」と見なしました。市長は「略奪等その他犯罪を起こしている者は誰であれ全員を殺す許可を与える」通達をだし、反抗するものは片っ端から銃殺されていきました。その後発生した大火災は軍隊が防火帯を作る為に町を爆破したところから始まりました。その日の隊長の日記には、自分たちの部隊が到着したことで、町の人達に安心感を与えた、とあります。

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April 18 -1906 San Francisco Earthquake
サンフランシスコ市長による殺人許可証


現場の人々の柔軟さ、機転、冷静さと、エリート層のパニックによる二次災害はこの本で繰り返しとりあつかわれるテーマです。市民と市長のこの差はいったい何故おこるのでしょうか。

この本では、数々の事例をどんどんあげて、それは何故かを考える様にしむけられます。一家で炊き出しを続けたシュミット巡査、ありったけの食料と水を提供したトーマス社長、「黒人も白人も黄色人種も分け隔てなく」ありったけの肉を提供したチャールズ社長、、、

店に侵入する暴徒を片っ端から撃ち殺した社長と、ありったけの商品を被災者に提供した社長。同じ商品を売っていても、その気持ちのありかたは180度ちがっていたのでしょう。日常では、その違いはわかりにくいけれど、いざ災害のとき、それは明確に表れてきます。

サンフランシスコはその後、猛烈な復興を果たします。5000Km向こうのワシントンの森林までも伐採して、スピード重視のいいかげんな建築基準が施行され、良くも悪くもありふれた町に戻ったのだそうです。

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1906 Earthquake: Refugee Camps - Presidio of San Francisco (U.S. National Park Service)
サンフランシスコの仮設住宅

だけれど、災害を体験した人は変わりました。その1つの例として、震災当時8才半だったドロシー・デイさんの話が紹介されています。災害の中で多くの人に助けられた、その思い出が貧困に苦しむ人々を救う力を彼女に授けたといいます。貧しい人、孤独な人、困っている人をあたたかいコミュニティに受け入れ、生きる力を取り戻す。その為に人生を尽くすことになります。ドロシーさんの活動は100年たった今も続いていて、社会の隅に追いやられた無力な人がその恩恵をうけているといいます。

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http://www.dorothydaymemphis.org/