東北には本物の民主主義があった
先日、コミュニティ再建支援の集まりで興味深い話を聞きました。
人が集まれているかどうかに復興が左右されているということでした。
【終了】レコーディング イン プログレス -3がつ11にちをわすれないためにセンター活動報告展 - おしらせ - 東日本大震災の記録・市民協働アーカイブ|3がつ11にちをわすれないためにセンター
震災から復興計画の提出まで、期限は9ヶ月。2011年の12月。
この間に集まって話し合い、出されたプランを元に復興計画をすすめる。。。
9ヶ月。
東京だったら?
もし今、関東大震災が起こって壊滅的なダメージを受けたら
ひとまず住民を郊外に引っ越させて、建設会社がグランドデザインを引いて
有名デザイナーが建物や公園をデザイン。おしゃれでエコな町のプランができる。
コンペをして、決定して、ゴーサインを出す。できそうです。
国から提示された、震災から復興への道筋を見ていると
阪神大震災や関東大震災を想定したシナリオを
「東日本」に置き換えただけなんだなあと思います。
国の考えとしては9ヶ月あれば十分。
長過ぎる位だろうと考えていたのでは、と思います。
ところが待っても待ってもまったくプランが出てこない。
そこでコンサルタントを大量投入して急いで作らせた。
現場から見ると、避難所生活が4ヶ月。仮設に入居して4ヶ月。
ほっとした所に急に町づくりを決めなさい!という指示が来る。
話し合いの期間はたったの一ヶ月。
あわてて話をまとめに走ったけれど、誰がどこに住んでいるかわからない。
十分に話し合いができない。違和感をどうやって伝えたらいいかも分からない。
結局、コンサルタントの案に決まってしまった。
そんな集落がほとんどだったそうです。
でも、その話を東京ですると(同情はされるけれど)ピンとこない。
何でだろう・・・と思いました。この噛み合なさ、違和感は。
それは、ひょっとしたら、東京の人は話し合って町づくりをするなんて、思いもしてないのでは?
私も沿岸の人たちが何でも皆でじっくり話し合って決めるのが当たり前だって事に気づいた瞬間、びっくりしました。沿岸の人に東京の町づくりは業者が決めて、住民はカタログを見て良さそうなところに住むんだって話したらびっくりされました。
ああーもう、この違い!!!
この違いにもっと早く気がついていれば。この事を説明できていれば。
違いを乗り越えられた集落は1割未満。
集落みんなが毎日毎日集まって、話し合い、制度や考え方の違いを乗り越えた。
国の出方を読んで、先んじて意見を集約し、粘り強く交渉する。
それは本物の民主主義だと思いました。