隣のアボリジニから、自分らしく生きるコツを教わりました。

アサカツ!ってゆうか昼ですね。
 図書館に行って本棚を見て。ぜんぜん関係ないジャンルだけど、何だか気になる・・・。そんな本はきっと面白い本です。今日はこの本。隣のアボリジニです。

隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民 (ちくま文庫)

隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民 (ちくま文庫)

 著者の上橋菜穂子さんは文化人類学者。
 アボリジニの生活を知る為にオーストラリアの田舎の小学校にやってきました。
全校生徒14人。最初は大地と共に生きる追いやられた辺境の人々に興味があって来たのですが、初日に「俺もアボリジニだよ」という普通のタクシーの運転手に出会って、興味の方向が180度変わります。町中に住むアボリジニの生き方ってどんなものだろう?

 アボリジニという言葉は英語で「原住民」という意味から来ていて。オーストラリアに住む250以上の言葉と600以上の部族を一緒くたにした言葉だそうです。
 だけれども、200年にもわたって、虐殺され、文化が破壊され、元々どんな自分たちだったか分からなくなったとき「アボリジニ」という言葉でバラバラになった人々が連帯するようになったのだそうです。

 ある日、宇宙人がやってきて日本と中国と韓国を植民地にして、宇宙語以外の会話は禁止、200年たったら元々じぶんが何だったか分からなくなっていた・・・そんな感じでしょうか。

 隣人として住んでみると、町中にふつうに白人と同じ様に生活していて、混血がすすんでいるとさらに見分けがつかなくなります。でも話してみると、大地に根ざした文化が生き生きと輝きだすのです。
 ブッシュで野菜や果物、カンガルーをとってきて、皆で分け合う。家族同士助け合って生きる。寛容であたたかいコミュニティが生きています。
 
 その一方で、社会保障に頼り切ってアル中薬中になってしまう人達がいます。
 雇用しにくい理由の一つがアボリジニの文化です。彼らはお葬式を大切にしていて、親戚が亡くなるとどんなに遠くてもかけつけて、一週間は帰ってこない。そうして年に数回いきなり休むので重要な仕事は任せられないのだそうです。そして失業し、社会保障でアル中になってしまう。

 社会保障が出来る前の方が健全だったという一面もあります。白人はアボリジニを無給で使っていて、僅かな衣食を支給するのみ。それでも先祖代々の大地をお世話できれば、白人が支配してしいるものの、ブッシュから野菜や果物、カンガルー等の獲物を得て生活することができた。

「あの頃は気心の知れたアボリジニだけで楽しく暮らしていたわ」p190

 しかし酷い時代です。白人はきちんとした家に住み、アボリジニは周辺のスラムにしか住む事を許されず。仕事はきつくて脱走したら鎖でしばって引き回される。子供は小さいうちにさらってキリスト教徒に教育する(まるで野犬収容所)。人間として扱わない、お祭りを禁止する、自分たちの言葉で喋る事を禁止する。

 そういえば、私自身も、祖父が危篤でかけつけてお葬式に出て都合一週間休んだら、会社に席がなかった・・・という事がありました。同じ話は日本でもアメリカでも聞く事があります。年に数回は多いにしても、貨幣経済アイデンティティのせめぎあいは、今の私達の間でも進んでいる事でもあるんです。

 今は平等な時代なんだから、お金をもらってアル中になるなんてとんでもない!という議論もあるのですが、何のバックもなしで稼ぐのは難しい事です。

 「白人社会で豊かになるために必要な基盤ー教育、職業知識、人脈、財産ーそのどれも持つ事を許されずにいきなり競争社会に放り出された歴史的背景と、現在も残る差別感情。雇用を阻むステレオタイプのアボリジナルイメージ。
 そういう深い溝の中から一人飛び上がり、社会的な成功を果たすという大変な作業をするとき
親族や仲間を何より大切にし、みんなと同じレベルで行き、得たものは分かち合うという「アボリジニの世間」の大原則は足に巻き付いた太い鎖となるのです。」p213

 自分らしく生きる道を確立したとして、でも隣には貨幣経済がばっちりあって、自分は変わらなくても周りがどんどん変わって行く。そんな時どうやって自分らしさを保てるか。アボリジニの人達はそうして多くが虐殺され、文化を失いましたが、一方でしたたかに生き延び、ふたたび豊かなコミュニティを築いている人達がいるということに驚きを感じました。

 ローラやマリアンは「腰布姿で槍をもったアボリジニでない、私たちみたいなアボリジニもいるんだってことを日本の人に伝えて」といいました。そしてわざわざ古い写真を探し出して渡してくれたり、大勢の人にあわせてくれたり、本当に惜しみない努力を私のためにはらってくれました。p231

 読んだ後ほっこりしました。にちようびのひと時にぜひ。